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日産追浜工場が閉鎖へ。苅田工場はどうなる?歴史から今をざっくり解説!

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自動車好きにはおなじみ、日産の追浜工場が閉鎖される――。
そんなニュースが飛び込んできたのは、2025年7月。

「え、あの歴史ある工場がなくなるの?」と驚いた方も多いのではないでしょうか。

この記事では、追浜工場が担ってきた役割や、閉鎖の背景、そして今後の生産体制を引き継ぐ苅田工場の動きまで、わかりやすく解説します。

工場の話なんてちょっと難しそう?
いえいえ、クルマ好きじゃなくても「なるほど〜」と思っていただける内容にしていますので、どうぞ最後までお付き合いください!

目次

ざっくりわかる日産の歴史

年代出来事
1930年代ダットサンブランドで小型車を生産開始(「ダットサン=脱兎の如し」という語呂も)
1960年代セドリック、ブルーバードなど名車を次々と発売
1980年代シルビア、スカイライン、フェアレディZなど、スポーツカー全盛期
1999年経営危機からルノーと資本提携。「カルロス・ゴーン」体制がスタート
2010年代電気自動車リーフがヒット。自動運転技術の研究開発にも注力
2018年ゴーン会長の逮捕で経営が混乱。世界に衝撃が走る
2020年以降コロナ禍や半導体不足で業績が低迷。構造改革中

日産は、1933年に創業された日本の老舗自動車メーカー。トヨタ、ホンダに次ぐ国内第3位の販売台数を誇る大企業です。昭和の時代から“技術の日産”と呼ばれ、スカイラインやフェアレディZといった名車を生み出してきました。

2000年代初頭には業績悪化により、フランスのルノーと資本提携。カルロス・ゴーン氏をトップに迎えた「日産リバイバルプラン」で急回復しました。最近では電気自動車(EV)の先駆けとして「リーフ」を世界に送り出すなど、革新性にも定評があります。

とはいえ、2019年のゴーン氏の逮捕やコロナ禍による販売不振など、近年は厳しい局面も。そんな中での“追浜工場の閉鎖”は、多くの人に衝撃を与えています。


追浜工場ってどんな工場?

神奈川県横須賀市にある追浜(おっぱま)工場は、1961年に稼働を開始。日産の国内工場の中でも歴史が古く、主に小型車や電気自動車(EV)の生産を担ってきました。最近では、電動SUV「アリア」の生産拠点として注目されていました。

ですが、2025年度末をもって生産を終了することが決定。事実上の「閉鎖」です。


なぜ追浜工場が閉鎖されるの?

背景には、日産が進めている「グローバル再編」があります。特に、欧州・北米市場を中心にEVのラインナップを強化していく方針のなかで、生産拠点の最適化が求められていました。

追浜工場は歴史がある反面、設備の老朽化や立地の課題(首都圏に近く地価が高いなど)もあり、大規模な再投資には不向きと判断された可能性があります。

さらに、世界的なEV競争が激化するなかで、コスト競争力を高めるためには、より効率のよい生産体制が必要だった――というのが大きな理由です。


苅田工場が主役に!?

追浜工場の生産は、福岡県にある「日産車体九州工場(苅田工場)」に順次移管されます。ここは比較的新しい設備が整っており、今後はEVやSUVの生産拠点としての役割を強化していくようです。

従業員の一部も苅田工場などへ配置転換される見込み。全国的な人員の再配置も行われ、雇用維持にも配慮されています。

社長

余談ですが、近隣の小学生は社会科見学で苅田工場に行くそうですよ!


日産のこれから、どうなる?

日産は今、「EVシフト」の真っただ中にあります。2030年代には主要市場でのガソリン車販売を停止し、電動化100%を目指すと表明。2025年には新たなEVプラットフォーム「アライアンスCMF-EV」を本格展開し、ルノーや三菱と協力してグローバル展開を狙っています。

一方で、業績はまだ回復途上。国内市場はトヨタ・ホンダの牙城が堅く、海外ではテスラや中国勢が猛追してきています。つまり、日産にとっては今がまさに“踏ん張りどころ”なのです。


おわりに

追浜工場の閉鎖は、寂しさと共に「時代の流れ」を感じさせます。でも、これは単なる“縮小”ではなく、“進化”のための一歩かもしれません。これからの日産の動きに注目していきたいですね!

ベストカー宮城
ブログ運営者
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